じっくり煮込んだコトコトコラム:水曜日 Atelier Blue トップへ
2004.03.31
散歩 de 探訪 -街・たてもの 歩いて見える新発見- 「長い散歩のあとに…」
vol.26 総集編「長い散歩のあとに・はかせインタビュー」

助手: 思えば約半年間、25回にわたり、さまざまな史跡・名所を廻わってきましたね。ふだん何気なく見ていた建物や景観を、建築士の視点でこれまで語っていただいたわけですが、今ふたたび振り返ってみていかがですか?
博士: たしかに、全国各地というわけにはいきませんでしたが、それでも数々の名所を巡ることで、私自身新たな発見があり、驚きがありました。毎回それぞれの場において特筆すべき建築資材をフィーチャーして紹介した『今週の建材』では、じつに興味深い発見の連続でしたね。
助手: それは例えば、どこの特集の際に感じましたか?
博士: 第8回目の特集『草津温泉郷(※1)』にて紹介した建材の瓦。一般的に瓦といえば、建物の屋根に施工される資材のひとつです。『横浜・赤レンガ倉庫(※2)』で紹介した三河産の瓦のように。ところがこの草津温泉郷において、その使用方法は異なるものでした。歩道に埋め込んだり石畳として使用していましたね。温泉の泉質である強い酸性に対して、腐食しにくく耐久性のある瓦を敷きつめるのには、こうした裏付けがあったわけです。
助手: 国会議事堂(※3)』を訪れた際に、はかせがとてもビックリされていた天然の大理石ですが、これも大変に特徴的な建材でしたね。
博士: まさに“国産石材の博物館”とは過言でないほど、全国から最高石材を集めていましたね。天然大理石だけで33種類も使用しているのは恐らく、他に例がない建築物と言えます。四方をステンドグラスに囲まれた中央広間では、絢爛豪華ぶりにため息がでるほどでした。
助手: 立法の最高機関として国内外に誇れる、本当に豪華な建築でしたね。ところで、これまでの特集のなかで、世界に誇れる日本土木建築の技術が現れていたのはどこだとお思いですか?
博士: 真っ先に例を挙げるならば『東京湾アクアライン・海ほたる(※4)』でしょう。最大海面下約60メートルの海底を両側から掘り進み、延長約10キロにわたって世界最大の道路シールドトンネルを完成させたわけですから。ドーバー海峡の海底でフランスとイギリスを結ぶユーロ・トンネルを掘削したのも、このシールドトンネル技術あってこそですしね。
助手: また別の意味でいえば『会津・大内宿(※5)』の茅葺き屋根民家も特徴的な日本式建築でしたね。半農半宿だった当時の民家は宿泊客(大名)への気遣いと、日常のライフスタイルを巧みにひとつの屋根の下に収めていました。
博士: 小江戸・川越(※6)』では、土蔵造り商家の街並みに出会いましたね。「火事とけんかは江戸の花」の言葉どおり、この時代、度重なる大火に遭った江戸ですが、川越もまた、例外ではなかったんです。そこで、日本橋に倣って蔵造り建築を取り入れたのです。
助手: 日本の建築の歴史は災害と復興の歴史でもあるのでしょうか。1923(大正12)年の関東大震災による災害は、近代建築の変遷のなかでそれ以前と以後で、劇的な変化を遂げています。私たちが訪れた先でも何度となく、この変化を体感してきましたね。
博士: そうですね、『浅草・仲見世通り(※7)』も例外なく震災の影響を受けましたが、商店は復興後、鉄筋コンクリート製に生まれ変わります。また、日本は地震大国として震災後の永きにわたり超高層建築に対する不安感をずっと抱えてきました。1919(大正8)年に制定された高さ制限に関する法律により地表高31メートル以上の建物の建設は禁止されていました。1963年にこの制限が撤廃されてからは、霞ヶ関ビルをはじめ高層ビル群の建築が新宿、池袋を中心に相次ぎ、いよいよ200mを越す『東京都庁(※8)』の登場となるわけです。そして日本の超高層建築に対する技術を躍進させたのは、横浜ランドマークタワーです。埋め立て地の上に超高層を建てる。と、いう飛躍的技術は世界でもトップレベルのものとなりました。
助手: 日本を代表する建築家・設計者によって建てられた建築物をいくつも訪れましたね。『横浜・赤レンガ倉庫』の妻木頼黄、『東京駅(※9)』の辰野金吾。『江戸東京たてもの園(※10)』では、前川國男が実際に生活していた邸宅を見学。前述の『都庁』設計者の丹下健三。さて、これら名だたる建築家たちは、日本の建築史にどのような影響を与えたのでしょうか?
博士: 日本の建築の形態は、この国独自の文化や風習にあわせて、今日に至るまで多様に変化、発展を遂げてきました。それは、日本固有の建築に世界の様々な形態や様式を取り入れ、発展してきた歴史とも言えます。また、地震大国であるということ、四季折々の気候など、独特の環境も日本の建築史には大きく影響を与えていると思われます。このような状況下において、建築家はそれぞれに試行錯誤と模索をくり返し、アレンジして新たな建築を生み出してきました。
新しい形態や定義、計画論、建築に関する様々な感覚が変化するたびに、日本の建築史には新たな1ページが刻まれ、グローバルな“コモンセンス”ができあがってきたのだと思います。日本の名だたる建築家は、それぞれが日本の建築史の発展に欠かせない人物であったことは、言うまでもありません。そして、彼らから発進された“コモンセンス”が、新しい日本のアイデンティティーとして、いま、世界中から脚光をあびるようになりました。
今後いろんな意味でさらなる変化をしていかなければならないこの国の建築ですが、『散歩de探訪』は、その歴史をも見つめられる散歩だったと思います。
助手: はかせ、ほんとうに長い間どうもありがとうございました。最後に読者の皆さまにご挨拶があればお願いします。
博士: 長い間ご拝読いただき、ありがとうございます。こんな「痛快でこぼこコンビ」のやりとりでしたが、その中でも私たちが訪れた名所を建築学の分野から鋭く“散歩する”ことで、今後皆さまが“かの地”へ訪れる際に、新しい発見となるべくお送りして参りました。一歩外に出てみますと、個性溢れる不思議な建造物が、街の表情を生みだしています。ふだん何気なく目にしていた建物を街並みを、いま一度立ち止まり、振り返ってみる。どうぞ新しい驚きと発見に出会える散歩に行ってみませんか?
「はい、カァ〜ット!!」
助手: 「散歩に行ってみませんか?」だって。いやぁ、どこからそんな臭いセリフ出てくるんすか、はかせ〜!
博士: どぉどぉ、悪くなかったろ?思わずその気になって語っちゃた。
助手: その意気で今までず〜っと、やってきて欲しかったんですけど!!
博士: まぁまぁ、酒が入りながらのインタビューなんだから。おい、もう一本空けるか!
助手: っちょと、みずからバラしてどーすんですか!
博士: え、今のも録音されてんの??「え〜、・・今のは全くの冗談であり〜、ヒックッ・・」
助手: 台無しぢゃ〜!!

やっぱり、いつものようにデコボコのまま最終回を迎えてしまったところで、『散歩de探訪』はおしまい。みなさま、本当に長い間ご拝読頂きありがとうございました。

補足de知識

※1 古きよき湯治場・草津温泉郷

左:草津温泉郷のほぼ中心に位置し、湯けむりと共に毎分5,000リットルもの湯が湧き出ている様子は壮観!
中:老舗旅館が軒を並べる温泉街の小道。黒や茶色を基調カラーに配し、落ち着いた佇まいで統一感を計っている。
右:鉱物をサビさせてしまう強酸性の泉質。そこで、腐食しにくく耐久性のある「瓦」を歩道や石畳に使用している。まさに、先人の知恵!

※2 大震災・二度の戦争に耐え、今も佇む横浜・赤レンガ倉庫

左:『港の賑わいと文化を創造する空間』を基本コンセプトとして改修・復元された赤レンガ倉庫。設計者の妻木頼黄は、東京駅舎で有名な辰野金吾と並ぶ、明治2大建築家の一人。
中:ライト・ダクトなど天井には、管が縦横無尽に走っており、通路には重層な扉がある。鉄製で重い扉をスムーズに開閉させるための戸車が、印象的。
右:右がレンガ、左はレンガタイル。レンガ壁の統一感を持たせるためにレンガタイルを多用。

※3 日本最高立法機関・国会議事堂

左:国会議事堂のデザインは、なんと公募により決定。その後、約17年かけて1936年に竣工した。
中:壮大で厳粛な参議院会議場。議席の名札をセンサーで感知、自動的に出欠を取れるという。
右:まるで欧州教会のような中央広間。使われている石材量は約2万8千トン!すべての大理石が美しく磨きあげられ、乳白色の柔らかい光を放っている。

※4 唯一の海上パーキングエリア東京湾アクアライン・海ほたる

左:東京湾の中央部を横断する、延長約15.1キロの有料道路東京湾アクアライン。
中:直径14.14メートル重量3,200トンの円筒状密閉型大口径シールドマシンを使用し完成したアクアトンネル。
右:アクアトンネルの掘進機用カッターには、地盤を削る爪にこの超合金が使用された。

※5 江戸時代の面影残る宿場町会津・大内宿

左:悠久の時が流れる大内宿。江戸時代、参勤交代や物資輸送で栄えた会津西街道宿駅のひとつ。
中:本陣内部はいろりを囲むように、仏間と大黒柱、さらに客間への廊下がつづく。また、冷地のため、「うまや」が土間にある。
右:障子の上30cm程のみ和紙貼りなのは、積雪時でも雨戸を開けずに外光を取り入られる、雪国ならではの工夫。

※6 蔵が軒を並べる粋な街小江戸・川越

左:享保5年、江戸幕府の奨励で防火建築として土蔵造り商家が建ち並ぶようになった。
中:木造3階建、高さ16.2mを誇る、川越のシンボル「時の鐘」。現在も1日4回蔵造りの街に鐘の音を響かせる。
右:蔵の壁は、燃えにくい漆喰で造られており、蔵造りは当時の一般的な住まいの10倍近い費用がかかった。

※7 『雷門』から仲見世を行く浅草・仲見世通り

左:日本で最も古い商店街のひとつ。雷門から宝蔵門まで約300メートルの両側には約90の商店が建ち並ぶ、東京観光名所。
中:浅草のシンボル『雷門』。正式名称は「風雷神門」という。幅3.4メートル高さ4メートル、約670キロの巨大提灯。
右:梅雨時のみ設置されるアーケードを取り付ける際の鉄柱が商店屋根部をわたる。

※8 西新宿のランドマーク東京都庁

左:1991年に竣工された都庁。総敷地面積42,941平方メートル、延べ床面積約381,000平方メートル。職員数約12,700人を要する。丹下健三氏が設計を担当。
中:都議会活動の中心となる議事堂。都議会は傍聴席からの見学も可能。
右:第一本庁舎1階から専用エレベーターで約55秒。地上202メートルから東京を望む。

※9 赤レンガのセントラルステーション東京駅

左:1日の乗降客数約40万人。日本のセントラルターミナル東京駅。2003年重要文化財に指定される。
中:フィレンツェ・ドゥオモを彷彿させる八角形ドーム。美しい内観の装飾が高く評価され「さながら宮殿のごとし」と称されるほどだった。
右:東京駅開業の翌年(1915)、駅舎の一部を使ってオープンした、東京ステーションホテル。

※10 江戸の街並みにタイムスリップ江戸東京たてもの園

左:都立小金井公園内に平成5年(1993)江戸東京博物館の分館としてオープンした野外博物館。27棟の復元建造物が建ち並ぶ。
中:木造建築の正面に衝立のように平面的なファサード、代表的な看板建築。主に昭和初期の木造商店建築の様式。
右:日本の近代建築の発展に貢献した建築家・前川國男の自邸。五寸勾配の立派な屋根が特徴的。


散歩de探訪録

≫vol.01 横浜・赤レンガ倉庫
≫vol.02 お台場・ビーナスフォート
≫vol.03 鎌倉・円覚寺
≫vol.04 多摩・コカ・コーラ多摩工場
≫vol.05 国会議事堂
≫vol.06 会津・大内宿
≫vol.07 黒部ダム
≫vol.08 草津温泉郷
≫vol.09 ベイブリッジ
≫vol.10 小江戸・川越
≫vol.11 浜離宮恩賜庭園
≫vol.12 東京大学
≫vol.13 東京駅
≫vol.14 銀座
≫vol.15 等々力
≫vol.16 江の島
≫vol.17 横浜中華街
≫vol.18 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その1
≫vol.19 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その2
≫vol.20 幕張ベイタウン
≫vol.21 横浜ベイサイドマリーナ
≫vol.22 浅草・仲見世通り
≫vol.23 東京都庁
≫vol.24 東京湾アクアライン・海ほたる
≫vol.25 横浜港大さん橋国際旅客ターミナル
≫vol.26 総集編 長い散歩のあとに・はかせインタビュー



ライタープロフィール

◎アドバイザー:《羅針盤》
HP ⇒http://www.geocities.jp/dm97032/works/top.htm
建築家の異色ユニット。
自らの事務所を持ち、建築家として建物のプランニング・設計する側ら、オリジナル家具・インテリア小物や雑貨などのデザイン制作を担当するなど幅広く活動中。「明日の生活を建築・インテリアで改革」と豪語(笑)する、自然愛好家たち。
◎文:平野星良(ひらのせいら)