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2004.03.03
散歩 de 探訪 -街・たてもの 歩いて見える新発見- 「浅草・仲見世通り」

vol.22 浅草の顔『雷門』から仲見世を行く「浅草・仲見世通り」
営団地下鉄銀座線・都営浅草線・東武鉄道「浅草駅」より徒歩5分
台東区浅草一丁目仲見世通り
※浅草の散策案内は浅草文化観光センター(年中無休9:30-20:00)をご利用下さい

助手: はかせ、やっぱり浅草のシンボルといったらこの「雷門」(※1)ですよね。
博士: 確かに!世界中どこを探してもこれほど大きな提灯はまず、お目にかかれないだろう。
助手: しっかし、近くに来ると迫力ありますね〜、どのくらいの重さなんでしょ?
博士: 幅3.4メートル高さ4メートル、だいたい670キロあるそうじゃ。
助手: でかっ!なんたってこんなどデカい提灯付けようと思ったんでしょうね。
博士: 寛政年代に海産物を扱う商人が浅草寺への奉納として送られたのが最初らしいぞ。しかもこの提灯、三社祭の時には神輿が下を通れるように持ち上がる仕組みになっているらしい。
助手: まじっすか!?「やるな、この提灯」。おおっと、はかせ提灯の真下で大発見です!!木彫りの立派な彫刻がされてますよ。
博士: なかなか渋い龍の彫り物だな。この場所に来たらやっぱりこのポーズだよな。「おりゃー!」
助手: ちょっとちょっと、みんな見てるじゃないですか〜。必ずいますよねピサの斜塔も支えたがる観光客。ボク、写真撮りませんからね。行きますよ、つぎ。
博士: もー、ノリ悪いなー。では仲見世(※2)を境内に向かって歩きますか!ここは日本で最も古い商店街のひとつなんじゃ。
助手: 「雷門」とともにこの仲見世も浅草の顔ですもんね。見てください!サクラの飾りが春の訪れを演出してて、いやぁ〜、じつに華やかですね。
博士: この仲見世は雷門から宝蔵門まで約300メートルあり、両側に約90の商店が建ち並んでいるんじゃ。煎餅をやく実演があったり、ひと串から買える団子や揚げ饅頭片手に通りを歩けば、もう気分は「江戸っ子」!
助手: はかせ、軒先の提灯のデザイン、アーケードの上にもついてますけど、これ漢字の「山」って読めますよね。変わったモチーフですが何の意味があるんでしょうか?
博士: あれは「金龍山」つまり、浅草寺(※3)のマークである。聖観音宗の総本山である浅草寺には「山号」というのがあってそれが「金龍山」なんじゃ。雷門の入口の門の上に「金龍山」の扁額が掛かってたの見たろ?
助手: あれ、そうでしたっけ?
博士: 注意力がたりないね、キミは。じゃ、あれ見て!商店の屋根に鉄筋が渡っているじゃろ、あれ気にならない?
助手: 気になります!両サイドの商店の屋根に付いてますね。ということは・・・・雨の日には屋根が付くんですよ、きっと!
博士: 大正解!!
助手: うそっ、マジっすか?あてずっぽで言ったのに。
博士: こらこら、当たってビックリするな!しかも、あてずっぽって。でもまあ正解。雨の日ではないんだが、梅雨時には屋根が設置され、この仲見世はアーケードに姿を変えるわけ。
助手: 商店街などで屋根風の覆いを取り付けた通路、有蓋(ゆうがい)街路のことですね。ちなみに都内で最も古いアーケードは、昭和27年(1952)にできた武蔵小山の商店街です!
博士: そういったウンチクだけは、妙に強いよね。さて、つぎは仲見世の裏手側にまわるぞ!
助手: おおっと、いちめん朱塗りの裏手は圧巻ですね。
博士: 関東大震災後に鉄筋コンクリートで再建された建物は、昭和の戦災でも内部は焼けてしまったが、外部はこうして耐えたんじゃ。おかげで、こうして大正時代の商業建築をこの時代に垣間見ることができるんだな。
助手: そう考えると感慨深いですよねー。裏通りを行くのも「ツウ」だったんですね。はかせ、ここまで来たら浅草寺でお参りして帰りましょうよ。
博士: そうだな。では宝蔵門をくぐって行こう。ビックリするような巨大物が見れるから。
助手: 発見!ここにも巨大提灯!これのことですね。
博士: 「ブー!!」いいからこの門をくぐって、振り返ると・・。
助手: でたー!!何ですか!?これは一体、巨大なわらじですか?
博士: 長さ4.5メートル、幅1.5メートル!重さはなんと400キロもある!!この「大わらじ」は仁王様のわらじらしく、10年に一度ごと奉納しているのが山形県村山市の奉讃会。藁2500キロを使い、延べ800人の人たちが一ヶ月かけて、左右一揃い作るそうじゃ。
助手: しっかし、呆れるデカさですねー。いったいどうやって、山形から運んできたんでしょうねー。ね、はかせ。おみくじ引きません?
博士: なら、大吉により近かった方が浅草の味覚ゴチってのはどう?
助手: その勝負のった!
博士: では、いざ・・・おおっ、出た!「百番」・・・・・えっ、凶!?・・・
助手: まじ〜!?キョー!!やっちゃいましたね〜はかせ!凶って(笑)!
博士: 笑いすぎ!ちょっと本気でヘコんだし・・。で、そっちは??
助手: 末吉っす!なんか中途半端な感じですけど、勝ちは勝ち!さ、どこでゴチってもらおうかな〜。名店のすき焼きもいいし、天丼ってものいいなぁ。
博士: ね、ね、牛メシなんてどお?しかも和牛よ!
助手: 牛メシっすかぁ!?今でも食べられる店あるんですか?
博士: よし、決まりね!気が変わらないうちに、さっそくGO!
助手: ここっすか?「正ちゃん」(※4)?もうちょっと豪華なところがよかったのにー!!
博士: 侮るなよー。ここの牛スジぶっかけ丼を食べたらもう、他の牛丼食えなくなるぞ!
助手: どーれ、頂きます・・・・ムムム・・・た、たいへん美味しゅうございます!!
博士: だろー!!めちゃ旨いだろ!これにホッピーが、また合う合う!
助手: ホッピーって、酒飲んじゃうですか?取材は・・・
博士&助手:頂いちゃいますか〜、牛メシにホッピー!

取材途中にもかかわらず、ついついお酒に手が伸びてしまったところで今回はおしまい。次回もお楽しみに。

今週の建材

ケーブルラックケーブルラック
おもに多数のケーブルを敷設するための電気配線用の受け棚のこと。直線的なはしご状のものの他に、90度に曲がっているものやカーブしているものなど、敷設する場所によりさまざまな形状がある。線路のようにそれらをつなぎ合わせることで電気・電話などのケーブルを導く役割がある。建物の天井裏や地下の電気室など隠れた場所で用いられる。浅草・仲見世商店街では各店舗の裏側にまわると、一直線に各店舗をケーブルラックが渡っている様子が見えます。


無駄demo知識

○仲見世の全店シャッターに描かれている「浅草絵巻」は、平成元年(1989)4月、当時東京芸術大学教授だった画家・平山郁夫氏の指導のもと、同グループによって作成された。
○昨年8月に11年ぶりの化粧直しが行われた浅草寺「雷門」。戦後から4度に渡りこの化粧直しを行っているのが京都の老舗「高橋提灯」。ほかにも日本最大の一色大提灯祭りをはじめ、全国各地の大提灯を手がけている。
○昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により浅草寺本堂は焼失してしまう。しかし、前もって観音堂の真下地中3メートルに青銅製の「天水鉢」を埋め、その中へ安置されたご本尊は戦火を免れることができた。


補足de知識

※1 雷門

浅草のシンボルでもある雷門、正式名称は「風雷神門」という。天慶5年(942)武蔵守に任命された平公雅(たいらのきんまさ)が寄進し、現在の駒形付近に建立。鎌倉時代に現在の場所に移築され、同時に天下太平・風雨順時・伽藍守護を願って門の右側に「風神」、左に「雷神」の像が祀られた。その後、幾たびの火災によって再建されてきた「風雷神門」だが、慶応元年(1865)の田原町からの大火災後にはなかなか再建が実現されず、昭和35年(1960)に復元されるまでの95年間、雷門は浅草の街から姿を消していた。提灯の奉納は寛政7年(1795)の再建時に海産物を扱っていた商人たちによって奉納されたのが始まりで、現在の提灯は松下電器産業の創始者・松下幸之助氏により寄進された。

左:なんと言っても浅草の顔・巨大提灯
右:木彫りの龍が立派な提灯底部

※2 仲見世

日本で最も古い商店街のひとつ。徳川家康が江戸に幕府を開いてから江戸の人口は急激に増え、浅草寺への参拝者も一層賑わいを見せるようになった。それにつれ、境内の清掃の賦役を課せられていた近隣の住人に対し、参道や境内への出店営業への特権が与えられ、これが仲見世の始まりといわれている。江戸時代には伝法院から仁王門よりの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並んだ。雷門よりは平店(ひらみせ)と呼ばれ、土産物・菓子・玩具などが売られ、日本でも最もかたちの整った門前町へと発展していった。関東大震災により壊滅した仲見世は、2年後には現在の鉄筋コンクリート造りに桃山風朱塗りの堂々たる商店街へと生まれ変わった。昭和60年(1985)秋には近代仲見世100周年を記念し、電飾看板の改修、参道敷石の取り替え工事を行い、現在に至る。

左:和菓子に土産物屋など約90の店舗が軒を連ねる
中:アーケードを取り付ける際の鉄柱が商店屋根部をわたる
右:大正時代の商業建築の名残りがわかる、朱塗りの裏通り

※3 浅草寺

鎌倉・室町・安土桃山・江戸と時代を超えて数々の武将に信奉され、民衆の祈願霊場となった、東京では最古の寺。草創以来、記録されているだけでも10数回に及ぶ火災による焼失と再建をくり返してきた。江戸時代には三代将軍家光により慶安2年(1649)に再建される。この際、本堂などと共に宝物殿が建てられ、木造では最古の楼門が建築された。幕府の庇護とその政策により近隣には歓楽・遊興の街がつくられ、人々を集める江戸いちばんの繁華街となる。明治40年(1907)には「国宝」に指定された。一般に寺社は高僧や権力者、著名人によって建造されるものだが、浅草寺の場合は庶民が主体であった。推古36年(628)、土地の漁師檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が観音像を網で掬い上げる。これを土地の長であった土師中知(はじのなかとも)に見せると、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、中知は自ら出家し屋敷を寺に改めて深く帰依したと伝えられるのが、浅草寺草創の縁起である。このように経済的後援者を含め、浅草の一般庶民が主体となって浅草寺はできあがった。

左:浅草寺本尊に向かって、左手には五重塔
中:重厚な造りの宝物殿。宝物の収蔵庫になっている
右:門の左右に取り付けられた巨大わらじ

※4 下町浅草の味「正ちゃん」
牛スジに豆腐、こんにゃく、ネギを専用の大鍋でじっくりコトコト煮込む牛煮込み(400円)は、親子二代に渡る50年来変わらぬ下町浅草の味。店内はカウンターのみで、外でも食べることが可能。100円プラスで丼にして頂く煮込み丼がなんと言ってもお薦め。アツアツを一気にかき込むのが一番美味しい食べ方だそう。

「正ちゃん」
台東区浅草2-7-13
定休日:月・火(水から金は昼11時〜夜12時まで。土日は朝7時半から)

写真:牛煮込みを丼にして食す、もちろんホッピーと共に


今週の「ツウ」快ふしぎ発見!

今週の「ツウ」快ふしぎ発見!
西日を避ける日よけは片側だけ!?
全長250メートルの仲見世には、東側(浅草寺境内に向かって右側)の54店舗にのみ、西日を避けるビニール状の日よけが設置され、午後の時間帯になると各店舗の軒先から、それぞれカラフルな日よけが垂れ下がる。西側の商店はいっさい西日の影響を受けることはないので、この日よけは設置されていない。


散歩de探訪録

≫vol.01 横浜・赤レンガ倉庫
≫vol.02 お台場・ビーナスフォート
≫vol.03 鎌倉・円覚寺
≫vol.04 多摩・コカ・コーラ多摩工場
≫vol.05 国会議事堂
≫vol.06 会津・大内宿
≫vol.07 黒部ダム
≫vol.08 草津温泉郷
≫vol.09 ベイブリッジ
≫vol.10 小江戸・川越
≫vol.11 浜離宮恩賜庭園
≫vol.12 東京大学
≫vol.13 東京駅
≫vol.14 銀座
≫vol.15 等々力
≫vol.16 江の島
≫vol.17 横浜中華街
≫vol.18 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その1
≫vol.19 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その2
≫vol.20 幕張ベイタウン
≫vol.21 横浜ベイサイドマリーナ
≫vol.22 浅草・仲見世通り
≫vol.23 東京都庁
≫vol.24 東京湾アクアライン・海ほたる
≫vol.25 横浜港大さん橋国際旅客ターミナル
≫vol.26 総集編 長い散歩のあとに・はかせインタビュー



ライタープロフィール

◎アドバイザー:《羅針盤》
HP ⇒http://www.geocities.jp/dm97032/works/top.htm
建築家の異色ユニット。
自らの事務所を持ち、建築家として建物のプランニング・設計する側ら、オリジナル家具・インテリア小物や雑貨などのデザイン制作を担当するなど幅広く活動中。「明日の生活を建築・インテリアで改革」と豪語(笑)する、自然愛好家たち。
◎文:平野星良(ひらのせいら)