※1 雷門
浅草のシンボルでもある雷門、正式名称は「風雷神門」という。天慶5年(942)武蔵守に任命された平公雅(たいらのきんまさ)が寄進し、現在の駒形付近に建立。鎌倉時代に現在の場所に移築され、同時に天下太平・風雨順時・伽藍守護を願って門の右側に「風神」、左に「雷神」の像が祀られた。その後、幾たびの火災によって再建されてきた「風雷神門」だが、慶応元年(1865)の田原町からの大火災後にはなかなか再建が実現されず、昭和35年(1960)に復元されるまでの95年間、雷門は浅草の街から姿を消していた。提灯の奉納は寛政7年(1795)の再建時に海産物を扱っていた商人たちによって奉納されたのが始まりで、現在の提灯は松下電器産業の創始者・松下幸之助氏により寄進された。
左:なんと言っても浅草の顔・巨大提灯
右:木彫りの龍が立派な提灯底部
※2 仲見世
日本で最も古い商店街のひとつ。徳川家康が江戸に幕府を開いてから江戸の人口は急激に増え、浅草寺への参拝者も一層賑わいを見せるようになった。それにつれ、境内の清掃の賦役を課せられていた近隣の住人に対し、参道や境内への出店営業への特権が与えられ、これが仲見世の始まりといわれている。江戸時代には伝法院から仁王門よりの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並んだ。雷門よりは平店(ひらみせ)と呼ばれ、土産物・菓子・玩具などが売られ、日本でも最もかたちの整った門前町へと発展していった。関東大震災により壊滅した仲見世は、2年後には現在の鉄筋コンクリート造りに桃山風朱塗りの堂々たる商店街へと生まれ変わった。昭和60年(1985)秋には近代仲見世100周年を記念し、電飾看板の改修、参道敷石の取り替え工事を行い、現在に至る。
左:和菓子に土産物屋など約90の店舗が軒を連ねる
中:アーケードを取り付ける際の鉄柱が商店屋根部をわたる
右:大正時代の商業建築の名残りがわかる、朱塗りの裏通り
※3 浅草寺
鎌倉・室町・安土桃山・江戸と時代を超えて数々の武将に信奉され、民衆の祈願霊場となった、東京では最古の寺。草創以来、記録されているだけでも10数回に及ぶ火災による焼失と再建をくり返してきた。江戸時代には三代将軍家光により慶安2年(1649)に再建される。この際、本堂などと共に宝物殿が建てられ、木造では最古の楼門が建築された。幕府の庇護とその政策により近隣には歓楽・遊興の街がつくられ、人々を集める江戸いちばんの繁華街となる。明治40年(1907)には「国宝」に指定された。一般に寺社は高僧や権力者、著名人によって建造されるものだが、浅草寺の場合は庶民が主体であった。推古36年(628)、土地の漁師檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が観音像を網で掬い上げる。これを土地の長であった土師中知(はじのなかとも)に見せると、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、中知は自ら出家し屋敷を寺に改めて深く帰依したと伝えられるのが、浅草寺草創の縁起である。このように経済的後援者を含め、浅草の一般庶民が主体となって浅草寺はできあがった。
左:浅草寺本尊に向かって、左手には五重塔
中:重厚な造りの宝物殿。宝物の収蔵庫になっている
右:門の左右に取り付けられた巨大わらじ
※4 下町浅草の味「正ちゃん」
牛スジに豆腐、こんにゃく、ネギを専用の大鍋でじっくりコトコト煮込む牛煮込み(400円)は、親子二代に渡る50年来変わらぬ下町浅草の味。店内はカウンターのみで、外でも食べることが可能。100円プラスで丼にして頂く煮込み丼がなんと言ってもお薦め。アツアツを一気にかき込むのが一番美味しい食べ方だそう。
「正ちゃん」
台東区浅草2-7-13
定休日:月・火(水から金は昼11時〜夜12時まで。土日は朝7時半から)
写真:牛煮込みを丼にして食す、もちろんホッピーと共に