※1 伊達家の門
旧宇和島藩伊達家が東京に居住するために建てた屋敷の表門で、現在の港区白金に大正時代に建てられた。総けやき造りの建築は三間一戸。本柱と背面の控え柱の間に組まれた筋違(すじかい)は、伝統的な日本建築には見られないもので、この門が近代建築であることを明示している。正面向かって右側のみに起り屋根の番所がおかれ、左右対称の造りとなっていることがわかる。
左:江戸時代の大名屋敷の様子をうかがい知ることができる
右:「竹丸に雀紋」の家紋。右側がレプリカ
※2 前川國男
1905年新潟生まれ。東京帝国大学建築科を卒業後、フランスに渡り近代建築の巨匠ル・コルビジェに師事し、そのインターナショナルデザインを日本に浸透させ、日本近代建築の発展に貢献した建築家。帰国後はレーモンド建築設計事務所を経て、1935前川國男建築事務所を設立。半世紀にわたる建築家としての活動の間に公共建築を中心に多数の建物を設計。日本建築学会大賞、毎日芸術賞、1963年には国際建築家協会連合オーギュスト・ペレー賞など受賞。代表作に東京文化会館・東京都美術館・弘前市民会館など。
左:前川國男邸裏手。五寸勾配の立派な屋根が特徴的
中:庭からの木洩れ日が心地いいリビング
右:室内の電化製品も当時のままに
※3 茅葺き屋根
かやとは屋根を葺くのに用いる草本の総称であり、チガヤ、スゲ、ススキなどが一般的。茅葺き屋根の耐年数は20年とも30年ともいわれているが、風雨や鳥、虫の影響により年々やせ細っていく。そのため腐食した部分を取り除き、新しい茅を差し込む「差し茅」と呼ばれる補修が必要となる。茅屋根の保護でもっとも大事なことは風通しと燻煙(くんえん)である。囲炉裏の煙は虫害から茅を守ると考えられており、天井のない構造はこのようなところで役立っていた。
左:「差し茅」作業中の屋根(写真は吉野家)
右:新しい茅が取り付けられ、その後燻煙が行われる
※4 綱島家
多摩川をのぞむ台地上にあり、広間型の間取りを持つ芽葺きの民家。板敷きの広間の西側に南北の続きをもつ構成の平面は、広間型三間取りと呼ばれる構成。北側の座敷を除いては天井が無く、縦横に組まれた梁(はり)が露出されていて吹き抜けの感を与えている。広間を囲む大黒柱は長方形の断面を持つ五平(ごひら)と呼ばれる材を使用している。格子窓(ししまど)は18世紀初頭の関東平野の民家に共通してみられるもので、換気、採光のほか外部からの獣の侵入を防ぐ役割をもっていた。
左:軒の低さが印象的。綱島家全景
右:閉塞感のある周囲の土壁
※5 吉野家
江戸時代後期に建てられた農家で、現在の三鷹市野崎が旧所在地。土台の上に柱が立つ基礎形式、縁側が各部屋を取りまき、全体的に開放的な空間の印象を与えているが、納戸のみ閉鎖空間となっている。平面は六室からなり間仕切りの線がちょうど十字型になる整形六間取りと呼ばれる。座敷と納戸の境に南に面して仏壇を置くスタイルは武蔵野の民家に共通する一般的な形式である。建物内では昭和30年代頃の農家の生活様式を再現している。
左:各部屋に縁側が設置されている
右:軒が高く採光がとれ、開放的な空間