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2004.01.07
散歩 de 探訪 -街・たてもの 歩いて見える新発見- 「銀座」

vol.14 小路で体感する“ハレ”と“ケ”「銀座」
営団地下鉄乗入れ:銀座線、丸の内線、日比谷線
一日の乗降人員:270,375人(平成14年度/営団地下鉄調べ)
銀座公式Webサイト「銀座コンシェルジュ」 http://www.ginza.jp/
歩行者天国の時間:土14:00-17:00(Oct.-Mar)、14:00-18:00(Apr.-Sep.)
            日12:00-17:00(Oct.-Mar.)、12:00-18:00(Apr.-Sep.)

助手: やっぱり、いつ来ても独特の大人っぽさがありますね〜この街。
博士: お、あっちもこっちも見返り美人!すばらしいのぅ、さすが銀座だ。
助手: は、はかせ!何しに来たんですか今日は?
博士: そーゆー君も、さっきからショーウィンドウばっか眺めて!
博士&助手:銀座ぶらサイコー!
助手: では、行ってみまひょ!まずは銀座の歴史(※1)。
博士: はいはぁ〜い。江戸に幕府が置かれた慶長8年(1603)、この辺りは浜と海だったんじゃ。
助手: ウソ!?じゃ、銀座で潮干狩りもできたんですか?
博士: もちろ〜ん!銀座ブランドのアサリにハマグリ・・・まさに江戸前じゃ。
徳川幕府の将軍たちは、この江戸の街づくりのため、海を埋め立て土地を造ることに専念する。なんせ、江戸城の目の前まで入江が入り込んでいただけに、船で攻め込まれる危険があったからのう。
助手: そういえば日本橋から茅場町・築地の方は、今でも運河が網の目のように入り組んでいるけど、銀座はとてもフラットですよね。橋もほとんどないし。
博士: そう、昔は銀座にも掘割が巡り橋も架かっておったが、現在ではすべて埋め立てられ道路に変わってしまったんじゃ。
助手: ということは、ここ、数寄屋橋も以前は橋が架かっていた?
博士: そのとーり!この石碑がそれを証明しておる。ここ、数寄屋橋公園は典型的なポケットパーク(※2)じゃ。岡本太郎先生のモニュメントを見ながら鳩と戯れる・・・これぞワシのような“銀座旦那衆”の極上的日課なのである!
助手: ・・・おいおい、アンタ関西人だろーが!いつも酔っぱらって関西弁丸出しぢゃないっすか。
博士: ・・さ、この小道を抜けてっと。
助手: あれっ、銀座のこんな所に小学校があったんですか?しかも超レトロ!
博士: ここが、かの有名な泰明小学校(※3)じゃ!見よ、あの校舎入口の柱のデザイン、連続したアーチ状の窓!あぁ、往年のモダニズムが漂っておるのう。北村透谷や島崎藤村もここで学んだんじゃぞ。
助手: 感動的っす!近代的建築の象徴メゾンエルメスのすぐウラ手にこの、モダンな鉄筋造り。さすが銀座は奥が深いですね。
博士: そう、銀座に来てウィンドウショッピングだけではもったいない。メインストリートから一本はずれて歩けば、そこはめくるめくパラレルワールド!小路を探すのもオモシロイぞ。
助手: はかせ、早速マニアックな小路発見でありますっ!何とも言えないこの、下町風情が銀座っぽくなくていい味出してますね。
博士: 何を言う!これこそ銀座のもうひとつの顔・三原小路(※4)じゃ。銀座にはまだまだこうした懐かしい小路が幾本も残っておるのじゃ。
助手: ものすごく日常的な銀座の表情ですね。お稲荷さんがありますね、「吾妻稲荷」っす。
博士: 銀座七福神のひとつである。銀座の小路には決まって稲荷が祀ってある。まさに銀座八丁の守り神じゃ!
助手: いやぁ、銀座って華やかなブランドの街っていうイメージだけでしたが、ここには江戸の“ハレ”と“ケ”が、今もしっかり共存しているんですね。
博士: お、いいこと言うじゃん、我が弟子よ!よし、今夜はワシのおごりじゃ!
助手: イエース!どこにします?ロオジェ、エノテーカ・ピンキオーリ?寿司幸もいいですね!
博士: ・・(ゲッ!?)
助手: どーせなら、銀座の名店へGO!
博士: ・・・や、やっぱ、行きつけの「あぶさん」じゃろ。ツケも効くし・・。
助手: ってーか、それ高円寺じゃん!!

果たして銀座の名店に行ったのか高円寺に行ったのか…というところで今回はおしまい。次回もお楽しみに!

今週の建材

ガス灯ガス灯
日本での最初のガス灯は明治5年(1872)、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、横浜の馬車路・本町通りに設置された。柱部はイギリス北部グラスゴーから輸入し、灯具は日本の職人の手によって作り出された。銀座のガス灯に使用されているランプは、最も自然光に近い照明効果が得られるメタルハライドランプ。


無駄demo知識

○明治15年(1882)、新橋停車場から銀座を通り日本橋間をつなぐ路線が開通。その原型はウマが引いて走る鉄道馬車だった。
○大正15年に建てられた香蘭社ビルは、銀座で現存する最古のアール・デコ風建築。
○東京オリンピックを向かえる昭和39年(1964)、海外からの観光客を迎えるために銀座通連合会は連日連夜、英会話の特訓に励んだという。



補足de知識

※1 『銀座』の由来と歴史
銀座という地名は、江戸幕府がこの地に銀貨鋳造所を置いたことに由来している。現在の日本銀行のある場所で、当時は金座と呼ばれていた。最初に銀座となった明治2年には、この街の区域は銀座通りに面した東西の一区画のみ、銀座1丁目から4丁目までだった。そのわずか3年後、銀座は大火事に見舞われる。戦後、銀座の国際化は一挙に加速していく。銀座4丁目交差点にはMPが交通整理に立ち、キャバレー、ダンスホール、ビリヤード場など街路の看板にはローマ字が並んだ。ちなみに初めて歩行者天国が実施されたのは1970年8月2日の日曜日。交通渋滞と大気汚染に対する強い反省の気持ちから生まれたそうだ。

※2 憩いの場・ポケットパーク
外向きの観光施設という視点より、地域の生活環境を良くし、人々に愛されることを基本につくられる都市の中にある小さな公園。基本的に遊具はなく、小さな水場やベンチだけで構成される。高層ビル群に佇むマンハッタンのポケットパークは大都市の中でまさしく憩いの場になっている。

※3 泰明小学校
創立120年余、鍋町小学校という寺子屋スタイルの私立校であったという。関東大震災後に建られた「復興小学校」のひとつ。島崎藤村・北村透谷をはじめとする文芸・芸能の才人の出身校としても有名。また、学校の門扉は19世紀後期の南フランス貴族の邸宅に使用されてたものといわれる。

※4 「三原小路」

「あずま通り」から「銀座三原通り」へと抜ける小路。銀座の日常を感じさせてくれる。日中は閑散としているが、夕方からはお店に明かりが灯りサラリーマンで賑わう。銀座八丁目の博品館西側には金春(こんぱる)小路。道を譲り合いながら店の軒先を歩いて行くことができる。
左:下町風情溢れる三原小路
右:三原小路にある吾妻稲荷


今週の「ツウ」快ふしぎ発見!

今週の「ツウ」快ふしぎ発見! 『銀座の町並みに合わせた街路灯』
銀座の街路灯はそれぞれ通りごとに異なる特徴的な造りをしている。ソリッドなビル群のなか、柔らかみのある光源は銀座の雰囲気に調和し、ショッピングや散歩に行き交う人々をより、美しく照らし、ロマンチックな銀座の夜を演出している。


散歩de探訪録

≫vol.01 横浜・赤レンガ倉庫
≫vol.02 お台場・ビーナスフォート
≫vol.03 鎌倉・円覚寺
≫vol.04 多摩・コカ・コーラ多摩工場
≫vol.05 国会議事堂
≫vol.06 会津・大内宿
≫vol.07 黒部ダム
≫vol.08 草津温泉郷
≫vol.09 ベイブリッジ
≫vol.10 小江戸・川越
≫vol.11 浜離宮恩賜庭園
≫vol.12 東京大学
≫vol.13 東京駅
≫vol.14 銀座
≫vol.15 等々力
≫vol.16 江の島
≫vol.17 横浜中華街
≫vol.18 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その1
≫vol.19 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その2
≫vol.20 幕張ベイタウン
≫vol.21 横浜ベイサイドマリーナ
≫vol.22 浅草・仲見世通り
≫vol.23 東京都庁
≫vol.24 東京湾アクアライン・海ほたる
≫vol.25 横浜港大さん橋国際旅客ターミナル
≫vol.26 総集編 長い散歩のあとに・はかせインタビュー



ライタープロフィール

◎アドバイザー:《羅針盤》
HP ⇒http://www.geocities.jp/dm97032/works/top.htm
建築家の異色ユニット。
自らの事務所を持ち、建築家として建物のプランニング・設計する側ら、オリジナル家具・インテリア小物や雑貨などのデザイン制作を担当するなど幅広く活動中。「明日の生活を建築・インテリアで改革」と豪語(笑)する、自然愛好家たち。
◎文:平野星良(ひらのせいら)