※1 『銀座』の由来と歴史
銀座という地名は、江戸幕府がこの地に銀貨鋳造所を置いたことに由来している。現在の日本銀行のある場所で、当時は金座と呼ばれていた。最初に銀座となった明治2年には、この街の区域は銀座通りに面した東西の一区画のみ、銀座1丁目から4丁目までだった。そのわずか3年後、銀座は大火事に見舞われる。戦後、銀座の国際化は一挙に加速していく。銀座4丁目交差点にはMPが交通整理に立ち、キャバレー、ダンスホール、ビリヤード場など街路の看板にはローマ字が並んだ。ちなみに初めて歩行者天国が実施されたのは1970年8月2日の日曜日。交通渋滞と大気汚染に対する強い反省の気持ちから生まれたそうだ。
※2 憩いの場・ポケットパーク
外向きの観光施設という視点より、地域の生活環境を良くし、人々に愛されることを基本につくられる都市の中にある小さな公園。基本的に遊具はなく、小さな水場やベンチだけで構成される。高層ビル群に佇むマンハッタンのポケットパークは大都市の中でまさしく憩いの場になっている。
※3 泰明小学校
創立120年余、鍋町小学校という寺子屋スタイルの私立校であったという。関東大震災後に建られた「復興小学校」のひとつ。島崎藤村・北村透谷をはじめとする文芸・芸能の才人の出身校としても有名。また、学校の門扉は19世紀後期の南フランス貴族の邸宅に使用されてたものといわれる。
※4 「三原小路」
「あずま通り」から「銀座三原通り」へと抜ける小路。銀座の日常を感じさせてくれる。日中は閑散としているが、夕方からはお店に明かりが灯りサラリーマンで賑わう。銀座八丁目の博品館西側には金春(こんぱる)小路。道を譲り合いながら店の軒先を歩いて行くことができる。
左:下町風情溢れる三原小路
右:三原小路にある吾妻稲荷