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2004.01.28
散歩 de 探訪 -街・たてもの 歩いて見える新発見- 「横浜中華街」

vol.17 10基の牌楼が守護する街「横浜中華街」
JR京浜東北・根岸線石川町駅下車徒歩5分
JR京浜東北・根岸線関内駅下車徒歩8分
市営地下鉄線関内駅下車徒歩8分

助手: ニーハオ、老子。
博士: いきなり中国語!?今回はやる気満々だな。
助手: なんてったって中華街っすよ、はかせ。もう、お腹が鳴る鳴る、よだれ出る出る。
博士: 確かに!街中が香しく誘惑だらけじゃな。この時期は春節前で特に賑わっておる。
助手: しかしどのくらい料理店があるんでしょうね?
博士: およそ200店舗の各地方料理店がひしめいてると言われておるぞ。幕末に日本が開国し、横浜の港が開かれて諸外国の商人がこの地に足を踏み入れたろ(※1)。以来ここに住み着いている華僑は今じゃ、もの凄い人数だ。
助手: 中国人はどこへ行ってもその国に、すんなりと順応してみせますよね。だからこそ、世界各地にチャイナタウンができるんでしょうね。お、この門いかにも「This is 中国!」してますね。
博士: この善隣門はなんといっても横浜中華街のシンボルだからなー。2003年2月に朝陽門が落成し、これで中華街には風水に基づく合計10の牌楼(バイロウ)建設(※2)が完成したんじゃ。
助手: はかせ、なぜはじめにこの善隣門からスタートなんですか?
博士: 善隣門はな、この町が中華街と呼ばれるきっかけになった門なのだ!
助手: ええっ・・!? 「きっつかけわぁ〜 あ、ちょんちょん♪」
博士: 「善隣門!」って、言わすな!! ま、とにかく初代の門は1955に完成し、当時は「牌楼門」という名前だったの。もともとこの土地は南京町と呼ばれてたんだけど、中央の看板に『中華街』と書いたことによって人々がこの街を中華街というようになったんだ。1989年にリニューアルされたこの善隣門は高さ10.91m、中華街大通りの入口に建つランドマークと言える存在じゃ。では、さっそくハイロウ。
助手: でた!ベタベタなオヤジギャグ、そのくせ自分は得意顔! さて、はかせまずは何から行きますか?飲茶も美味しそうだし、こっちのフカヒレ・北京ダック「プチよくばりセット」も魅力的ですよ!!
博士: こらこら、何しにワシらは中華街に来たんじゃ。訪れなければならない名所が中華街にもたくさんあるってゆーのに!こういうときは食べ歩きのできる「肉まん」に限る!この先に特大のアツアツ〜があるんじゃ。
助手: さすがはかせ!自分も食べる気満々。あぁ、はふはふしたーい!
博士: よし、充電完了。つぎに向かうは「関帝廟」(※3)じゃ。
助手: すごいっすねー、この辺一帯微妙に輝いてませんか?これが三国志のヒーロー関羽を祀った廟ですか。
博士: 関羽は武将として理財にも精通していた。さらに簿記法を発明したとも言われており、商売の神として中国本土にとどまらず、世界中の華僑から信仰されておるんじゃ。中国明・清時代の南廟堂様式(南方式)建築!このふんだんな金箔と艶やかな装飾は、見るからに中国!だな。
助手: はかせ、この階段の龍を観てくださいよ!もの凄く細かな彫刻ですね。しかも石っすよ!
博士: 天に向かって登る龍の姿を彫った「雲龍石」じゃ。北京から運ばれてきたそうだが、重さはなんと4.5トンだって。境内の4本の柱が「観音石龍柱」といって関羽の活躍をイメージして彫られたものらしい。あれも、台湾から運ばれてきたものじゃ。
助手: はかせ、屋根の瓦も特徴的な極彩色ですがもしや、あれも海を越えて運ばれてきたんですか?
博士: いい読みだ!あれは北京の工房に特別に注文して焼き上げた「北京瑠璃瓦」。てっぺんの龍や鶴など獣神はガラス製である。そしてもうひとつ圧巻な情報をお教えしよう。
助手: 何です??
博士: 本殿の中を見て何か気づかない?
助手: キンキラキンっすね、ひたすらに。
博士: そのとーり!数々の装飾も含め、この関帝廟、なんと3.5トンもの金箔が使用されておるのじゃ〜!
助手: すごっ!てか、やりすぎ!?かるくリッチになった気がしてきましたよ、こっちまで。やっぱスケールが違いますね。さすが4000年の歴史、侮れぬ。はかせ、他にはどんな中華街の名所があるんですか?
博士: 善隣門から西門通りを延平門に向かって左側、ここが「九龍壁」(※4)。見よ、9匹の龍がおるじゃろ。これは北京の北海公園にある壁の縮小版で、これも向こうで制作されたものなんじゃ。展示が行われていないときには、その全景を観ることができる。
助手: マネキンがチャイナドレス着ていたら、そのまま中国風のショーウィンドウっていった感じになりますね。あれ、こっちの延平門は柱が白いですね。東側の朝陽門は確か青かったですし。すべての門柱が赤いわけではないんですね。
博士: よくぞ気づいた!それでこそワシの弟子じゃ。東の朝陽門、西の延平門、南の朱雀門は赤、北の玄武門は黒。この4つの牌楼は風水思想に即して建設されておるんじゃ。東西南北に四神を配することで、このエリアを邪から守り、さらなる繁栄と安全を願う漢民族のアイデンティティと言えよう。
助手: なるほど、それぞれの牌楼には役目があって24時間それぞれの守護神が邪を見張ることで繁栄をもたらしていたわけですね。恐るべき風水、恐るべきタオイズムっすね!
博士: ほんとに解ってんの?
助手: 大丈夫っすよ!それよか、そろそろ行きましょうよ、フ・カ・ヒ・レ!
博士: うぅ・・やめてくれ、そのコトバ責め・・・
助手: 「シャッチョウ、安イヨ。メニュー見ルダケ、タダネ!」
博士&助手:行っときましょー!

夜の中華街へと二人が消えていったところで今回はおしまい。ちなみに二人の所持金はこの時点で4,000円しかありませんでしたが・・。次回もお楽しみに。

今週の建材

通りを彩るさまざまな提灯
通りを彩るさまざまな提灯 室町時代の文献によると提灯の始まりは中国から伝えられた「かご提灯」。現在のような祭事に使用されるぶら下げ型提灯が登場するのは江戸時代に入ってから。竹ひごと和紙を使った折りたためる構造の提灯は、日本独特のもので今から約400年ほど前にさかのぼる。この輪なしの「丸形提灯」が広く庶民の宗教儀式や祭事など生活の場に登場したのは、ローソクが大量生産になり安く手にはいるようになった江戸時代以降とされている。


無駄demo知識

○東西南北の牌楼で囲まれたエリア(おおよそ横浜中華街)の面積は約500メートル四方、メインストリートの中華街大通りは約300メートル。
○中華街には約200店舗近くの中国各地の料理店が軒を連ねるがその半数が広東料理。次いで上海料理、北京料理、四川料理である。
○金色に輝く横浜関帝廟の数々の装飾には約3.5トンもの金箔が使用されているという。



補足de知識

※1 横浜中華街の始まり

横浜に港が開かれた1859年当時、中華街のあたりは横浜新田と呼ばれていた。当時横浜はアメリカ・イギリス・フランスなど、諸外国から大勢の商人がこの地を訪れ、外国人居留地において商館を開き、商取引により発展した土地をつくっていった。港町横浜には世界各地の人々が訪れ、なかでも上海や広東からも大勢の華僑が海を越えてやってきた。上海や香港において西洋人を相手にビジネスをしてきた彼らは、日本と西洋とのあいだに立って商業における仲介者の役割を果たしていた。上海・香港とのあいだに定期航路が開催されるとペンキ塗装、洋裁、欧文印刷など、当時の先端技術を身につけた中国人が横浜を訪れる。また北海道産の海産物を香港・上海に輸出したり、砂糖を台湾から輸入する華僑貿易商が現れるようになった。居留地が撤廃されることになる明治32年(1899)までには、横浜の華僑人口は約1000人に増え、20世紀初頭には約5000人に膨らんでいた。

左:春節前で賑わいをみせる中華街大通り
中:中国建築様式の「會芳亭」は山下町公園内に
右:電信柱はどれも下4メートルほどまで赤く塗装されている

※2 風水にもとづく門「牌楼(パイロウ)」
古来より中国では、皇帝が王城を築くときなどには天文博士に天意を伺っていた。これは城内に侵入してくる邪を見破るため東西南北に限り通路を開き、それぞれに門衛をおいたといわれている。各門は陰陽五行にもとづく青・赤・白・黒に塗り分け、さらに方位の守護神(青龍・朱雀・白虎・玄武)を据え城内の繁栄と安全をはかった。

写真:各牌楼ごとに特徴的な装飾が施されている(写真は天長門)

※3 関帝廟

明治6年(1873)、横浜市中区山下町140番地付近に居留民によって日本で最初の小さな廟が建設された。これが関帝廟の始まりとされている。明治19年(1886)には境内を拡張、その8年後には大改築が行われレンガで周囲を囲み、荘厳な牌楼、廟内の装飾に彫刻と見る者の目を眩わすほどの絢爛豪華ぶりで居留民の心のよりどころとしての存在であった。その後大震災、第二次大戦の戦災、そして1986年元旦の原因不明の出火により消失してしまう。4代目となる現在の関帝廟は、堂屋・堂宇の装飾、構築部分を中国本土から取り寄せ、工匠を来日させ、中国伝統建築工芸の結集ともいえる佇まいとなった。

左:絢爛豪華な4代目関帝廟
中:関羽の活躍物語を彫った「観音石龍柱」
右:艶やかな極彩色がひときわ目立つ「北京瑠璃瓦」

※4 九龍陳列窓と九龍壁

中華街の街づくりの一環として設置されたこのスペースでは、中華街の情報のほか中国文化に関する情報を発信している。後ろの壁面が九龍壁で北京の北海公園内の九龍壁を参考につくられたもの。原料は北京特産の粘子土・頁拉石と頁岩を用いてある。長23.16m、高さ3.74m、厚さ14〜64cmある北海公園の約半分のサイズに縮小された照壁である。

左:飾りの向こうに九龍壁
右:春節を祝う飾り付けがしてある


今週の「ツウ」快ふしぎ発見!

今週の「ツウ」快ふしぎ発見!
公衆トイレも中華風!
加賀町警察所横の「洗手亭」は1998年にオープンした公衆トイレ。屋根には粘土瓦、外壁の一部には陶板を使用した蘇州の民家建築。見た目には一瞬、「何だろう」と思ってしまうこのバリアフリートイレ、もちろんタダで入れます。


散歩de探訪録

≫vol.01 横浜・赤レンガ倉庫
≫vol.02 お台場・ビーナスフォート
≫vol.03 鎌倉・円覚寺
≫vol.04 多摩・コカ・コーラ多摩工場
≫vol.05 国会議事堂
≫vol.06 会津・大内宿
≫vol.07 黒部ダム
≫vol.08 草津温泉郷
≫vol.09 ベイブリッジ
≫vol.10 小江戸・川越
≫vol.11 浜離宮恩賜庭園
≫vol.12 東京大学
≫vol.13 東京駅
≫vol.14 銀座
≫vol.15 等々力
≫vol.16 江の島
≫vol.17 横浜中華街
≫vol.18 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その1
≫vol.19 2週連続企画〜江戸東京たてもの園:その2
≫vol.20 幕張ベイタウン
≫vol.21 横浜ベイサイドマリーナ
≫vol.22 浅草・仲見世通り
≫vol.23 東京都庁
≫vol.24 東京湾アクアライン・海ほたる
≫vol.25 横浜港大さん橋国際旅客ターミナル
≫vol.26 総集編 長い散歩のあとに・はかせインタビュー



ライタープロフィール

◎アドバイザー:《羅針盤》
HP ⇒http://www.geocities.jp/dm97032/works/top.htm
建築家の異色ユニット。
自らの事務所を持ち、建築家として建物のプランニング・設計する側ら、オリジナル家具・インテリア小物や雑貨などのデザイン制作を担当するなど幅広く活動中。「明日の生活を建築・インテリアで改革」と豪語(笑)する、自然愛好家たち。
◎文:平野星良(ひらのせいら)